こんにちは。プロモデラー林哲平です。
50年の歴史を誇り、いまや日本の男性誌でトップクラスの部数を叩き出し、世界最大の模型雑誌となったホビージャパン。
とはいっても最初からそんな大きい会社だったわけではなく、最初は創業者の佐藤光市氏が妻の修子夫人と1965年に二人で代々木駅前にオープンした小さなミニカーショップから始まったのです。
この本ではそんなホビージャパンがいかにして誕生し、どんな変遷を得てガンプラブームの一躍を担うようになっていったか。
1950年後半の佐藤社長が大学を卒業してアサヒ玩具で下積みをしていた時代から、独立してポストホビーの創業、ホビージャパンを刊行してから、ミニカー→スケールモデル→ガンプラとメインで扱うアイテムが変遷していき、モデルグラフィックス事件が起きる1984までの歴史が収録されています。
著者はレギオスのメカデザインで知られる柿沼秀樹氏!
著者は60万部を超える大ヒットとなり、ガンプラブームを決定づけた伝説の模型本「HOW TO BUILD GUNDAM」を作った元ホビージャパン編集者の柿沼秀樹氏。
アニメスタジオ「アートミック」で「メガゾーン23」や「機甲猟兵モスピーダ」のメカデザイナーとして著名な柿沼氏ですが、ガンプラブーム真っ只中にスケールモデルからキャラクターモデルへとホビージャパンの舵を切った大功労者でもあるんです。
そんな激動の歴史を自身が担った柿沼氏自らの視点による本書は、ガンプラ以外にもプラモデルの歴史について非常に詳しく記されており、当時を知る人も知らない人も「こんなことがあったのか!」と驚くことばかりの内容となっています。
懐かしの作例写真も掲載!
本の中にはカラーページも封入されており、ホビージャパン創刊から84年までの表紙全てと話題となった「伝説の作例」を見ることができます。
キャラクターモデルの先駆けとなったスターウォーズのプラモデル。
金子辰也氏によるC3P0とR2D2で表紙モデルともなったのはファンには有名ですよね。
ちなみにホビージャパンの表紙で初のキャラクターモデルとなったのは78年5月号の松本零士特集での999号でした。
ホビージャパンに初めてガンダムが登場したのは1980年8月号でした。
まだガンプラ発売前だったので、どちらもフルスクラッチによるもの。
岩瀬氏のガンダムは当時最新素材であったポリパテで製作されており、プラモ用マテリアルとしてポリパテが普及するきっかけとなりました。

こんな感じで「おお!これがあの伝説の!」という作例の写真が惜しげも無く見られるのは非常に嬉しいところですね。
ビジネス書としても読める!
ホビージャパンの創業者である佐藤光市氏は伝説的な人物で、私はアルバイト時代にちょっとご挨拶をしたことくらいしかないのですが、佐藤氏を知る人から聞いたエピソードはどれも強烈で、まさに一代で会社を立ち上げた昭和の男の凄まじいバイタリティーを感じます。
プラモデルやミニカー、ボードゲームやカードゲームに着目したきっかけや何度ものピンチを起死回生で乗り切るエピソードなどなど、社会派のビジネス書として、スキルアップや独立を目ざすためのビジネス書としても本書は非常〜に価値ある内容となっています
プラモデルの歴史資料として必須!
そして、何よりもこの本の価値があるポイントはプラモデルの歴史資料としてでしょう。
著者の柿沼氏は大のプラモ好きで、プラモ黎明期の少年時代からず〜っとプラモを作っており、なおかつスケールモデルからキャラクターモデルへの転換期に大活躍した人ですから、その視点から語られるプラモデルの勃興や変遷の歴史は非常にリアルで、驚くことばかりなんですよね。
特におすすめしたいのが「スケールモデルがなぜ急に売れなくなったのか?」という理由で、これは私もまったく知らなかったことなので非常に勉強になりました。
これを読むと「スケールモデルもキャラクターモデルだった」という衝撃の事実を知ることができますよ〜!
これからもホビージャパンをよろしくお願いします!
というわけで「HOW TO BUILDホビージャパン ガンプラブームを作った雑誌ができるまで」の紹介でした。
私もホビージャパンに勤めて15年で、読者だっときにこうだろう、と思っていたことを内部の人に聞いたら「ええ!まさかそんな理由だったなんて!」ということがすんごく多かったのですが、この本はその辺りの本来オブラートに包んで濁したり、黒歴史化して封印してもいいようなモデルグラフィックス事件とか、生きてる重要関係者全員(市村氏や横山氏にまで)に取材してバッチリ掲載されていますからね。
ホビージャパン好き、モデルグラフィックス好き、プラモ好きならば誰もが「おお!」となる内容ばかりですので、ぜひ読んでみてくださいね♪
これからもホビージャパンをよろしくお願いします!
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